13 回  大槌湾の生物多様性を後世に伝え、沿岸センターを地域の拠点としたい

広瀬先生

広瀬 雅人 

東京大学大気海洋研究所 国際沿岸海洋研究センター
生物資源再生分野 特任助教
(2017年4月1日より 北里大学 海洋生命科学部 助教)
研究分野:海産無脊椎動物の分類学、
     付着生物群集に関する生態学

■コケムシWebsite(個人サイト):
https://sites.google.com/site/kokemushiweb/home

「高校時代に魅せられたコケムシの研究を通して復興に貢献する」(BlueEarth no.138 / TEAMS 開拓者たちの肖像 SPECIAL)

大槌湾の生き物の多様性を調べ、その証を後世に遺す」
(メーユ通信8号 / 特集 プロジェクトを担う若手研究者たち)


今回は広瀬特任助教のお話しですが、そもそも研究分野である「海産無脊椎動物の分類学」や、「付着生物群集に関する生態学」とは、どういった学問なのでしょう?イントロダクションとしてインタビューした内容をコラムや漫画でご紹介します。本編と合わせてご覧ください。(下のバナーをクリック!)

分類学 群体性 番外編

▼ 復興の過程でどんな影響があるのか、震災後の生物を記録
▼ 養殖棚における付着生物の生態と季節変化を調べ、防除策を提案
▼ 新発見の宝庫の大槌湾、沿岸センターへ人を呼び込みたい
▼ 地域拠点としてより開かれた沿岸センターを目指す

復興の過程でどんな影響があるのか、震災後の生物を記録

メーユ
 東北マリンサイエンス拠点形成事業(以下「TEAMS」)のプロジェクトにおいては、ドクトル広瀬は大槌湾や松島湾で調査していますね。どんな調査をしているのか教えてください。
広瀬先生
 まず、潜って行う調査について説明しましょう。この調査では、タンクを背負って潜水し、藻場などに正方形の枠を置いて、枠内にいる生き物を採集することで生息密度や種類を調べています。ここでの目的は、震災後にどのような生物がいて、それが今後どう変わっていくのかを記録し証拠を残していくことです。震災の影響だけでなく、堤防建設などの復興過程の影響についても調べるため、大槌湾の浅場の生物多様性について分類学・生態学の観点から調査を行っています。

枠取り 堤防完成前 堤防完成後

写真左:潜水による枠取り調査 中央:蓬莱島の堤防が流された後(2013) 右:復旧後 (2014)
 
メーユ
 調べることは「津波の影響」だけじゃないってこと?

広瀬先生
 津波前の情報は、動物群によってあるものとないものがあり、精度もバラバラです。そのため、津波の影響を評価することは難しいのですが、むしろこれから復興していく過程でどう変化していくのかを記録していくことも必要だろうと考えました。ただ、私が危惧したのは過去の多くの生物調査で標本が残されてこなかった点です。
 例えば、ある調査で種Aが10個体、種Bが30個体と報告されたとします。その後、分類学の研究でこれまで「種B」と呼んでいたものが、種Bと種Cと種Dの混ざったものだったと明らかになったとします。そして30年後、再び行った調査では種A、B、C、Dがそれぞれ10個体ずつ得られたとします。では、この場合……
  


図1:ある生物調査のイメージ(現在と30年後の比較)


 これを単純に種Bが減って、種Cと種Dが新たに出現したと言ってよいのでしょうか? もしかしたら、30年前に種Bと呼んでいたものの中に、種Cと種Dが含まれていたかもしれません。残念ながら過去の海の様子は確認できませんが、この時、30年前の標本が残っていれば、過去の「種B」とされたものが本当に種Bだったのか確認することができます。逆に、標本が残されていなければ、本当のことがわからないのです。(→ 分類学)
メーユ
 適切な形で標本に残しておけば、後世の人にその時代の標本を託して「もう一度調べてみて」とお願いすることができるのですね。これまでの調査ではどんなことがわかってきましたか?
広瀬先生
 2013年に湾内の数か所で、藻場における調査を行い、得られた生物を標本として残しています。今後、10年後や20年後に同じ場所で調査を行うことで、その変化を知ることができると考えています。また、蓬莱島の堤防が津波で流された後、堤防があったところをはさんで湾の内側と外側で調査を始めましたが、堤防が再建された前後で得られる生物相がだいぶ変わっています。潮通しが良かった2013年は海藻もうっそうと茂っていたのですが、堤防完成後の調査ではその量がだいぶ減ったようで、それに付随して得られる底生生物の量も減り多様性も低くなりました。ただ、この変化は堤防ができたためなのか、年による海流や水温の影響なのか、現時点ではわかりません。これを明らかにするためには、今後も長く調査を続けていく必要があります。
メーユ
 地震と津波の影響と、復興過程と、年ごとの影響と……変化がなぜおこっているのかを明らかにするには、いろいろな面から見て、調査を継続していかなくちゃならないのね。


養殖棚における付着生物の生態と季節変化を調べ、防除策を提案

メーユ
 ドクトル広瀬はTEAMSとして、10年後20年後でなく、すぐに漁業復興に役立つような調査も行っているのですか?
広瀬先生
 湾内に付着板を設置して行う調査は、もっと漁業と直結したものです。TEAMSは、将来的に漁業復興のために活かせる基礎的な知見を提供することがプロジェクトの最終目的の一つです。しかし漁業者は数十年も先の研究成果など待っていられないのが現状でしょう。そこでコケムシ研究者として、何か直近の数年の間に漁業へと還元できることはないか…と考えました。そこで思い付いたのが、付着板を使った付着生物の調査です。
メーユ
 付着生物と漁業とはどのようなつながりが…?
広瀬先生
 たとえばコケムシは、カキやホタテや昆布などに付く「汚損生物」としても知られており、どうやって防除するか、ついたものをどうやってきれいに落とすかなど、昔からその対策が課題とされてきました。カキやホタテは水中に吊り下げて養殖しますが……吊り下げているものに付着する動物にはどんなものがあるのか、それらがどの時期に増え、どの時期に減っているのか、どのような場所で付着が多いのか等を調べることが、対策を考える上で重要だろうと考えました。そこから掃除に適した時期がわかれば、掃除の回数を減らすことができますよね。
メーユ
 付着生物が、いつどこで増えるのかがわかれば、効率の良い防除の時期を提案できますね! 
広瀬先生
 ええ。たとえば松島湾のカキには大きく分けて4種類の付着生物がついているとわかりましたが、種類ごとに付着時期が少しずつ異なることもわかりました。特に春から初夏にはヒドロ虫が、夏から秋にはフサコケムシが多く付着しています。特定の種がずっと付着して悪さをしているのではなく、時期によって問題を起こす付着生物が異なるのです。ですから、ヒドロ虫に対して有効な防除策を秋に実施しても意味がないことになります。

付着板調査 種組成と季節消長

写真:海中で付着板を調査する様子 図2:松島湾の付着生物の種組成と季節消長
メーユ
 ヒドロ虫に最適な防除策を行うタイミングは、ヒドロ虫が出現する時期を知らないと効果が発揮できないわけですね!付着生物を調べることで他にもわかることはあるのですか?
広瀬先生
 付着生物の多くは水中の懸濁物を食べる「ろ過食者」で、自分で水流を作って、あるいは流れてきたものを食べています。ただ、養殖しているカキやホヤもろ過食者なので、コケムシなどの付着生物とは餌をとりあっているのです。
メーユ
 つまり、付着生物が多い場所は、競争相手が多い場所でもあるのね。
広瀬先生
 そう言えますよね。たとえば、松島湾では津波の被害は他の場所に比べるとそれほど大きくありませんでしたが、それでも養殖棚が流されて、いったん養殖漁業ができなくなりました。震災後にようやく養殖が再開された当初、カキに大量のコケムシが付着して、そこにさらに泥が詰まることで、カキが斃死してしまう現象が起こりました。なぜそうしたことが起きたのか、コケムシの付着量の変化を見ていくことで何かわかるのではないかと考えました。養殖が再開された現在では、コケムシの付着量は徐々に減ってきています。津波後に餌の絶対量が増えた可能性など他にも様々な要因が考えられますが、一つの要因として、津波直後は一時的に養殖筏がなくなったことで、天然のコケムシにとっての餌が増え、結果的にコケムシが増加した可能性も考えられます。
メーユ
 カキなどとコケムシなどの付着生物は、同じ餌をめぐるライバルというわけか…。
広瀬先生
 ライバルだけど、一方で、もしも餌量が十分すぎるくらい存在する環境だった場合には、カキとコケムシのどちらも成長できますよね。奪い合っている関係なのか、共に成長している関係なのか、結局はその場所の餌量環境も調べないとわからないこともあるのです。大槌湾でも、地点ごとに出現する付着生物の種組成や量に違いがあることがわかってきましたが、コケムシや群体ボヤは湾奥の南側で特に多い傾向がありました。これは河川水に由来する飼料環境と関係があるのではないかと考えています。
メーユ
 福田班が海の栄養を調べたり、田中班が海流を調べたりしているけど、どこにどんな付着生物が、どれくらいいるのかは、海の栄養や流れと関係するってことかしら?
広瀬先生
 餌の量に関わってくるので、無関係ではないと思いますよ。海の栄養や流れを調べている人たちから見て「生き物の餌が多い」と言われている場所で、実際に生き物=付着生物が多いのかどうかを、生物の点から明らかにしたいと考えています。私は栄養塩や流れの専門家ではないので、付着生物がどの季節にどこで増えた、といったことしか議論できませんが、これを他のグループが取り組んでいる栄養塩の分布に関する研究成果や、流れの研究の成果と照らし合わせることで、「餌がどれほどあって、どういう流れの時に付着生物も多くなる」といったことを議論できるのではないかと考えています。
メーユ
 それぞれの専門家が集まって、プロジェクトで取り組んでいるからこそ、総合的に考えることができるのね。

新発見の宝庫の大槌湾、沿岸センターへ人を呼び込みたい

メーユ
 ドクトル広瀬は潜水して枠の中の生き物を調べたり、付着板を吊り下げて行う調査の他にも、いろいろな場所で、いろいろな道具を使って調査をしていますよね?
広瀬先生
 大槌湾などの深い場所では、ドレッジという採泥器を使った調査もしています。大槌では1973年に沿岸センターができてから、いろいろな人が生物相を調べており、80年代にそれらの成果をまとめた大槌周辺で得られる底生生物のリストが公表されています。しかし、その後は網羅的に底生生物を調べた人はいませんでした。そのような中で震災があったので、震災後の今の底生生物相の状態をあらためて記録し、標本として残すことで、数十年後、数百年後の研究につなげていきたいと思って始めたのがこの調査です。
メーユ
 ドレッジはどんな道具?
広瀬先生
 金属製の枠の後ろに網がついていて、海底の砂や泥などを採集します。枠取り調査のように一定面積内の個体数といった定量的な議論はなかなかできませんが、ある地点にどのような生き物がいるのかを調べるにはとても有用です。

 ドレッジ調査

写真:ドレッジ調査の様子
メーユ
 海底をひきずって砂や泥を採るんですね。どういう地点で採っているの?
広瀬先生
 スキューバなどの潜水調査では20mくらいの浅い場所しか潜れないので、それよりも深い場所で調査しています。事前に海底の地形図を見て、調査地点を選定しています。例えば、岬の近くの切り立った斜面には固着性のろ過食者が多そうだなとか、斜面に囲まれた窪地には貝殻礫がたまっていそうだから、そうした場所を好む生物がいそうだなとか、なるべく多様な環境を選んでいます。

調査地点

図3:調査地点
メーユ
 潜水調査ではわからないところを調べているんですね!採れた生き物については、どのように作業を進めるのですか?
広瀬先生
 得られた生き物はすぐに分類群ごとに仕分けして、写真撮影し、適切なかたちで標本にしています。それらの一部については、それぞれの分類群を専門とする分類学者に渡したりもしています。例えばヒトデが採れたらヒトデを専門としている人、ナマコが採れたらナマコを専門としている人に渡して、それぞれの研究に使ってもらっています。今後、この調査に基づいて、それぞれの分類学者が研究成果を出してくれるはずです。その際に、それらが何という種類なのかを調べてもらうことで、私が得られた生き物のリストをまとめていく予定です。 (→ 標本作成ウラ話) 
メーユ
 将来が楽しみ!さらに深いところや広い範囲にどんな生き物がいるか、たくさんの人たちで調べることで、いろいろなことがわかっていくのですね。
広瀬先生
 TEAMSは、それぞれの専門分野の研究者が一斉に関わって研究に取り組むことで、生態系の解明がより一層進んでいくことに意味があるのですが、私としては、これらの調査を沿岸センターの共同利用にもつなげたいという思いがあります。というのも、大槌は80年代に一度リストが報告されたことで、もう大槌の生物相は調べ尽くされてしまったと考えている人も少なくないのです。でも今、実際に調べてみると、リストに載っていない生物がわんさと採れるのです。未記載種(名前がついていない新種の候補になるもの)や日本未記録の属などもたくさん採れていて、実は大槌にもまだまだ面白い生き物がいっぱいいるということがわかります。
 ですから、日本各地にいる分類学者を招いて実際に生物をとってもらったり、彼らに標本を送ったり、撮影した写真などのデータを送って名前を調べてもらうことで、「大槌に来たらこういうものが採れるのだ」と広く知ってもらいたいと考えています。それが将来的には「あらためて大槌で調査しよう」と多くの人たちが大槌に来るようになり、大槌湾の生き物についての理解がもっと深まることになるという期待も込めています。つまりこれは、「沿岸センターの復興」を通した東北や漁業の復興という意味も込めていることなのです。
メーユ
 沿岸センターを通して大槌へ来る人が増えれば、回り道のようだけれども、町のためにもなりますよね?
広瀬先生
 そうですね。例えば多くの研究者が集まる事で、研究集会を開催して一般の人にも来てもらう機会につなげたり、出前授業の拡大版などをやってもいいですよね。津波をきっかけに海から遠ざかっていた人たちが、もう一度海に親しみを持ってもらうきっかけとなったり、心の意味での復興につながったらなという思いもあります。その他にも、今まで漁師さんたちが経験や勘に基づいてやってきた漁業だけれど、科学でわかったことも知った上での漁業のあり方もあるのではないか、それが将来的に大槌の漁業のオリジナリティになったらいい、そんな考えもあるのです。 
メーユ
 沿岸センターがあることで、子どもたちが海の研究者になったり、漁師さんになったり、可能性が広がるといいですね。ところで、ROV という無人のカメラでドクトル広瀬が撮影した映像を見ましたが、海の中がとてもカラフルで、生き物もたくさんいてびっくりしました。
広瀬先生
 きれいでしょう。ROV(遠隔操作水中無人探査機)を使った調査も、基本的にドレッジと同じような目的で行っています。撮影した写真や映像を提供することで、研究者の人に知ってもらうと同時に、一般の人にも身近な海の知らなかった一面を知ってもらうという意味をこめています。
 個人的には、震災前の大槌湾口部の調査でサンゴのような大型のコケムシ群体が採れていたので、いつかそれらが生息する海底の様子を見てみたいと思っていました。これらの大きなコケムシ群体が、群集を作っているのではないかと考え、その規模や他の生物との関係について知りたかったのです。ROVを使えば、これまでサンゴ礁で行われてきたような研究を、コケムシや他の付着生物を対象としてできるのではないか…そのような研究の初めての試みを大槌で実施できるのではないか、と考えました。
メーユ
 サンゴ礁以外の付着生物群集については、まだ研究されていなかったの?
広瀬先生
 潮の満ち引きで干出することがある「潮間帯」と呼ばれる波打ち際では、これまでにも、「こんな生物群集にこれだけの生き物が生息していましたよ」、という研究はありました。しかし、潜らないと調査できない場所で、より細かく定量的な調査というのは、あまりされていないのです。特に水深が深いところではスキューバによる枠取りもできませんし、ドレッジでは定量的な調査ができないので、技術的にも難しかったのだと思います。ですが、ROV では実際に海底を見ながら採ることができますし、映像を使って大きさの計測もできるので、定量調査に近いことができるのではと考えています。

ROV 大槌湾口部海底

写真左:沿岸センターに導入されたROV(遠隔操作水中無人探査機)ものをつかんだり(黄矢印:マニュピレータ)、吸い取ったり(赤矢印:スラープガン)、付着しているものをはがしたり(青矢印:スクレーパー)を備え、様々な生物の調査・採集に対応できる仕様となっている。

写真右:ROVで撮影した大槌湾口部の海底の付着生物群集 様々な付着生物が色彩豊かな群集を形成している様子が初めて確認された。
 
メーユ
 ROV では撮影だけでなく、採集や映像を見ながらの計測など、結構細かいこともできるのね!これまでにどんなことがわかってきましたか?
広瀬先生
 ROV を使った調査で、大槌湾と沖合で多様な生物群集の存在がわかってきました。例えば大槌沖で古くから知られる大根(おおね)と呼ばれる漁場は、ムツサンゴやカイメンなどが集まって群集をつくっていることが明らかとなりました。また、湾奥のひょうたん島の周辺では、30年前に刺し網であがってきたものと同じサガミユビヤワコケムシが、震災をまたいで現在も生息していることがわかりました。 
メーユ
コケムシの存在や大きさで、震災の影響などを推定することはできたりしますか?
広瀬先生
 震災前後にまたがってコケムシが存在したというだけでは、実際のところその場所における震災の影響を議論することは難しいと思います。ただ少なくともコケムシにとっては影響がそれほど大きくなかったか、あるいはコケムシ群集は震災によるダメージからの回復が早かったということは言えると思います。
 また、大槌湾口部で得られる大型のコケムシでは、枝を削ると年輪のようなものがあって、それを数えることで年齢がわかると考えられます。実際に震災後にROVとドレッジで撮影したコケムシの年輪を数えてみると、震災前からその場所で生息していた群体であることがわかりました。付着生物の良いところは、一回付着すると動けないので、成長履歴がその場所の環境変化を示している生き証人になるということです。標本も後世に遺すタイムカプセルですが、付着生物も短いスパンのタイムカプセルになりうるわけですね。こうした成長履歴の研究は、同じく沿岸センターの白井さんと共同で行っています。  
メーユ
 白井助教はサンゴや二枚貝などの成長履歴を見る専門家ですよね?沿岸センターの研究者同士で協力して進めているんですね!

地域拠点としてより開かれた沿岸センターを目指す

メーユ
 ドクトル広瀬は新設される沿岸センターの設計にも携わっていますよね。研究者のみならず、地元の一般の方々にもこれまで以上に開かれたセンターを目指していると聞いています。皆さんに新センターをどういうふうに利用してほしいと考えているのですか?
広瀬先生
 私自身は分類がベースにあり、標本を残すことや生き物の多様性を伝えることが重要と考えているので、標本庫としての「資料庫」というスペースを確保してもらうようお願いしました。それから私が中心となって関わってきたものに、展示室と図書館を兼ね備えた「海の勉強室」という建物があります。大槌の海がどんな海なのか、どんな生き物がいるのか、そこで研究者がどんな研究をしていて、どんなことがわかってきているのかを紹介するスペースです。珍しい生物の標本展示はもちろん、イベント時にはタッチプールとしても使える水槽を並べた水族館コーナーもあります。さらに、普通の図書館にはないような専門的な図鑑を置いた図書スペースを設けて、地元の子どもたちが海の生き物について気軽に調べることができる場所にしたいと考えています。
メーユ
 地元の子どもたちが学校帰りに寄って、自由研究の調べものなどができたらいいな!
広瀬先生
 そうですよね!この場所で講演会をやってもよいと思いますし、沿岸センターを飛び越えて、三陸で研究している研究者や学生に展示ブースを貸し出すなどして、他大学・研究機関の先生のゲスト展示なんかもできたらいいなと思っています。漁師さんにとっても、大槌湾以外のことを知る機会になると思います。それから、大槌の海と生き物に関する図鑑を兼ねたガイドブックを作って、一般公開や講演会、さらには近隣の学校に配るといったことも考えています。今後の沿岸センターは、三陸沿岸の研究機関であるとともに、そうした地域拠点の場としてもあるべきではないかと思います。
メーユ
 ドクトル広瀬はハンドタイプの図鑑を作ったり、研究の普及活動にも力を入れていますよね。
広瀬先生
 はい。研究の普及活動や生き物の図鑑を作成することは、一見すると漁業復興というTEAMSの目的とは程遠いものに感じられるかもしれません。しかし、美味しいものをつくったり、効率よく漁獲できる方法を模索することももちろん大切ですが、私たち基礎分野の研究者が行うべきことは他にもあるだろうと私は考えています。むしろ、そうした応用研究では見えてこないところを研究し、それらの成果を地元の方々に普及・還元することが、それぞれの湾や地域の特色を活かした漁業の活性化につながるのではないかと思っています。
メーユ
 なるほど~。手っ取り早く漁業や地元に役立つことではなくても、基礎研究の成果を伝えていくことで、その地域らしさが大事にされて、漁業が元気に続いていくことにつながりますよね。ドクトル広瀬はTEAMSの生物データシステムも積極的に活用しているようですが?
広瀬先生
 はい、TEAMSのデータマネジメントで開発された「BORAS(ボーラス)」というシステムがあります。これは生物観察情報アーカイブシステムと呼ばれるもので、調査などで観察された生き物の情報を写真などで登録し、その情報をどんどん蓄積していくものです。簡単に言うと、「いつ、どこで、何が採れた」という情報が溜まっていくわけです。
 例えば、私が行っている大槌の調査で得られた生物標本はほとんど、このBORASに登録して整理しています。現在はTEAMS参画の研究者のみが使えるシステムですが、将来的には誰もが利用することができ、登録した生物の名前を研究者が常に最新のものにアップデートしながら互いに情報を共有できるものにしたいと考えています。また、長年にわたって情報が蓄積されていくことで、「いつ、どこに、どういう生き物が分布している」という情報が一目でわかる地図なんかも描けるようになります。

BORAS 標本庫  生き物図鑑2016
左:BORAS(TEAMS Biological Observation Record Archive System)東北マリンサイエンス拠点形成事業で開発された「生物観察記録アーカイブシステム」中央:現在の沿岸センターの資料庫 整理された標本が保管されている。右:おおつち海のいきもの図鑑(2016)
メーユ
 生物の観察情報は、蓄積されることでその意義もどんどん大きくなってくるわけですね。ということは、BORAS のシステムはプロジェクトが終了しても是非とも残してもらわないと困りますね!
広瀬先生
 そうですね!BORAS はまさに時間をかけて蓄積することに最大の意味があると言えます。
メーユ
 大槌湾や松島湾での調査は今後も継続していくと思いますが、ドクトル広瀬自身は今後どういったことを見据えているのですか?
広瀬先生
 日本のコケムシの分類をやっている人が現在はほとんどいないので、これはライフワークとして生涯やっていくつもりでいます。すでに私が一生かけて研究しても終わらないくらいのサンプルがあるので……。これまでさまざまな場所での調査航海にも参加して大量の標本を採集してきていますが、それらを分類して名前をつけ、さらに古い標本と照らし合わせて、分類体系を整理するだけでも大仕事ですから。
メーユ
 おじいちゃんになるまで、ずーっとできそう!
広瀬先生
 そうなのですが、自分はいつか死にますよね。研究者の死後によくあるのが、未整理の標本だけが残されて「これは何だろう?何だかよくわからないね」とゴミとして捨てられてしまうことです。私はそれだけは避けたいと思っているので、今自分の手元にある標本が「いつどこで採集したものか」というリストを付けて保管しています。このリストには、「最終的には博物館に登録してください」などと書いていますが、この作業をしていると、なんだか遺書を書いている気分になってくるのですよ。
メーユ
 一生かけて長大な遺書を書いているようなものですね! 数十年先や百年以上先を見据えて、大きなことに取り組んでいるとわかりました。がんばって!


インタビューを終えて

広瀬先生とチェロ
高校時代は茶道部、大学時代は能狂言研究会、現在もチェロ奏者として演奏会に出演するなど、ドクトル広瀬は実に多彩で、名前のとおり“雅な人”です。インタビューの最後に、日常の全てがリセットされて別世界に入ることができる茶道の心地良さを語ってくれましたが、「研究者にならなかったら? 」の問いには「飛行機の設計か、航空管制官か、トラックドライバーをしていたかも?」という意外な答えが返ってきました。幼少期から特に水中の生物と鳥が好きだったというドクトル。中学高校時代はいろんな国の音楽や楽器にも興味をもち、珍しい楽器を集めたり設計図を参考に自作したりもしていたそうです。「これは何?」「何でこうなるの?」と思った時に「こういうものだから」と言われるのが嫌で、物事の仕組みを調べる方が面白いのだとか。探求心に突き動かされ、終わりのない研究を続けています。

取材日: 2017 年 1 月 13 日 (構成 / イラスト: 渡部寿賀子)