固着生物と群体性の不思議、生物多様性を探る

メーユ
 ドクトル広瀬は「コケムシ」という動物の専門家と聞いていますが、コケムシだけでなく、いろいろな生き物を調べていますよね。研究分野の一つは「付着生物群集に関する生態学」ということですが、「付着生物」というと、いろんなものにくっついて暮らしている生き物のことですか?
広瀬先生
 ええ、まさにそうなんですけど、付着生物というのは実際にはいろいろな分類群にまたがっていて、さらに定義も結構あいまいです。例えば海藻も何かにくっつきますよね。時と場合によって「付着生物」の解釈も変わってきたりするんです。私がここで言う「付着生物」は、付着(固着)した成体が、その後移動能力をもたないもののことです。例えば赤ちゃんの時は海中を泳いでいたりしますが、大人になって一回何かにひっついたらもう動けず、その場で一生を終える……そういう生き物のことを指しています。
メーユ
 例えばアワビなどのベントス(底生生物)も何かにくっついているけど、ああいう、自分で這って移動できるもののことは含まれないの? 
広瀬先生
 そうですね……大人になっても自分で移動できるもののことは、ここでは含めないことにしています。ここで言う付着生物は、例えばみなさんが一番イメージしやすいのは、サンゴ礁をつくるサンゴかな。サンゴは植物や鉱物と勘違いされることが多いですが、じつは餌も食べて、産卵するし、排泄もする動物なのです。でも、サンゴ礁のサンゴが歩いていたり泳いでいたりすることはないですよね。 
メーユ
 サンゴが卵を産んでいるところを見た事があるわ! 卵は海の中をプワプワと漂っていたけど、赤ちゃんはプランクトン(浮遊生物)なの?コケムシもそういう、付着・固着生物の仲間?
広瀬先生
 そうです、サンゴもコケムシも赤ちゃん(幼生)はプランクトンで泳いでいます。生物の形や生活の仕方が成長の途中で変わる事を「変態」というのですが、サンゴやコケムシの赤ちゃんが「ここにしよう」とどこかにペチャっとひっついて変態をしたら、その子自体はもう移動ができなくなります。そういう生き物、つまり付着生物を調べています。
メーユ
 移動しなくなる動物なんてユニークね。ドクトル広瀬は高校時代に学校の隣の池でたまたまオオマリコケムシを見つけたのが研究の道に進んだきっかけと聞きました。何だかわからずに持ち帰って、琵琶湖研究所(現・滋賀県琵琶湖環境科学研究センター)に問い合わせたとか…。
広瀬先生
 ええ、元はと言えば高校時代にコケムシに興味を持ち、研究したいと思ったんです。コケムシを研究している人があまりいなくて、専門家と文通したり、外国の先生にメールを書いて資料を送ってもらったりしながらどんどん興味が深まって。コケムシの面白いところは、群体をつくるという体制と、その多様性だと私は思っています。動物には群体をつくるグループもいればそうでないグループもいるのですが、コケムシはすべての種が群体をつくる、いわば群体性という体制に特化したグループなんです。
メーユ
 「群体性」って何だろう? 同じ仲間で群れをつくっていること?
広瀬先生
 群体というのは、一匹の「個虫」が自分のクローンをどんどん増やして集まっている状態、そのような体制のことです。サンゴやコケムシなど群体をつくる動物も有性生殖をして卵も産みますが、それとは別に無性生殖による出芽を繰り返しているのです。この無性生殖では自分と同じ遺伝子をもった個虫が増えていくわけですが、それらが完全に分裂してしまわず生きた組織でつながっている状態が群体です。そのため、同じ群体内の個虫間では栄養などのやりとりもできるんですよ。

オオマリコケムシの出芽 群体内 群体の形成過程

写真左:コケムシの個虫の出芽(オオマリコケムシ)
個虫の横から無性生殖で形成された新しい個虫が出芽している。

写真右:海藻に付着したコケムシの群体の顕微鏡写真 ハチの巣状の部屋の一つ一つにそれぞれ個虫が入っている様子は、まるでたくさんの個虫がマンションに住んでいるようです。

右の図:群体の形成過程のイメージ図
 円で示した個虫が無性生殖で次々と新しい個虫を作るが、それらはちぎれず、生きた組織によるつながりが残っている。

メーユ
 「分身の術!」を使って自分を増やしている感じ? 家族が増えているみたいだけど、家の構成員は、親子や兄弟姉妹ではなく自分のコピーなのね。
広瀬先生
 そうです。とはいえ、群体内の個虫はつながっているので、「分身の術」のようにバラバラに移動することはできませんけどね……。群体性の動物で面白いと思ったのは、一つの群体の中で個虫の役割分担が生じることです。例えばコケムシの場合、普通の個虫は触手冠や口を持っていて餌を食べますが、中には触手冠も口も捨ててひたすら鞭のようなものを振り回して外敵やゴミを払い除ける個虫もいます。他にも、「僕はもうご飯も食べません。ただこの群体を持ち上げて支えています!」と、ひたすらくっついて群体を支えていることに専念している個虫もいるんですよ。
メーユ
 ご飯も食べないなんて、ストイック! あれ? でも体がつながっているから、他の個虫が食べていれば、栄養はその子たちからもらえるんでしたっけ? 
広瀬先生
 はい、栄養がもらえるから、役割分担ができるのです。私たち人間も、体の中がたくさんの細胞でできた多細胞生物ですが、すべての細胞がご飯を食べているわけではないですよね?栄養や酸素が輸送されるシステムがあることで、細胞が臓器や器官に機能分化することができるんです。群体では一つの個虫がすでに口や生殖巣や筋肉をもった多細胞生物ですが、それがさらにクローンの個虫をつくり、その個虫同士で役割分担をしているんです。つまり、コケムシなどの群体性の動物は、多細胞生物の進化・多様化の究極形態の一つと言うことができるのです。進化的にも発生学的にも群体性はとても面白い現象だと思いました。一匹の多細胞生物から群体性の動物へと進化する中で、どのような機構がはたらき、どのような遺伝子が発現しているのか、そこに興味があったのです。

多様化  コケムシの体の作り

図左:多細胞生物と群体生物の多様化 ©Masato Horose
図右:コケムシの体の作り ©Masato Horose
メーユ
 コケムシは進化の過程で群体性を極めたものだったんですね!それでコケムシ研究の道へ?
広瀬先生
 うん。でも、調べ始めたら、そもそも名前がついていなかったり、分類が安定していないという問題が出てきたんです。そこで今はコケムシの分類を整理して、将来コケムシの発生や進化の研究をやりたいという人が出てきた時のために、そのような研究がしやすい環境を整えることが必要だと考えました。あと、コケムシの群体や生活史の多様性を発見して、その面白さを普及し、多くの人にその存在を知ってもらって興味をもってもらう必要があると考えました。
メーユ
 それで、ドクトル広瀬は「海産無脊椎動物の分類学」と、「付着生物群集の生態学」が研究分野になったのですね。群体性に着目して、「動物」でありながら何かに固着したら動かないという動物を研究するとは、目の付け所もユニークですね。
広瀬先生
 ええ。中にはクダクラゲの仲間のように泳ぐ群体をつくるものもいますが、群体性の動物には、サンゴ、コケムシ、ホヤなど付着・固着性の動物が多いので、どうしても固着性の動物を見る事が多くなります。動物を研究したい人は、やっぱり動くものに興味を持つと思うんです。動物は、その行動が面白かったり、形がかっこよかったりするわけで…なので、ある場所に定着して動かないコケのような汚れのような地味なものを調べようという人は、どちらかといえば少ないと思います。でも、動物全体の多様性を議論するには、こうした固着性の動物も見ないと、その全体像はわからないと思うんです。動物の本質を語る上では、動物らしいものと併せて「動物らしからぬ動物」も見なければいけないのです。それで、こういう固着性の動物の面白さを掘り下げて研究し、その成果を普及していきたいなと思ったのが私のバックグラウンドにあります。 
メーユ
 海の中にはまだまだ知られていない面白い動物がたくさんいて、多様性に富んでいるのですね!