第 5 回 海の中の栄養を調べる―漁業資源の維持機構の解明を通して復興を支援する―

永田先生
研究テーマ 3  代表 : 永田 俊
東京大学大気海洋研究所 海洋化学部門 生元素動態分野  教授
研究分野: 微生物生態学・海洋生物地球化学

 


海の栄養はどこから入る?

永田班の研究テーマ「震災に伴う沿岸域の物質循環プロセスの変化に関する研究」、最初にこのタイトルだけを聞いた時は、意味がさっぱりわかりませんでした。まず「海の中の物質が循環しているプロセス=過程」がある、ということですよね。それが地震と津波によって沿岸域の地形などに変化が起きたことでその過程に変化が起きている、そのことを研究する、ということでしょうか?
永田班長
そうですね。震災後に私も大槌に入りましたが、当初は「いったいどうなってしまったのだろう? 」と、何が起きたのか見当もつかない状態でした。航空写真などで見てもわかるように、河口や沿岸の地形も震災前とはまったく変わってしまったでしょう。海の中も深刻なダメージを受けたのではないかと想像しました。
2011年5月の時点で、震災後の調査を行ったと聞いていますが……、調査できたのですか?
永田班長
国際沿岸海洋研究センター(東京大学大気海洋研究所附属)の調査船もすべて流されてしまったので、漁師さんに船に乗せて頂きました。さまざまな面でこれまで漁師さんのご協力を得ています。その時に聞いたお話しですが、津波から逃げる時、ふだんなら水深30メートルはある海の底が見えて、魚がピチピチはねて溺れていたというのです。そのように外洋水が入ってきたり、海の底もかき回されたわけですよね。
心配されたことは、津波にともなって大量の土や砂やがれきなどが海に流入し、汚染物質も残留していることがひとつ。また川の流れ、河川水の流入経路も変わったのではないかということ。町も損壊して、家や車なども大量に海に流れ出ましたから、そうした陸起源、人為起源の物質も質・量ともに変化しているだろうと考えました。
大槌湾漁場環境

【図1 大槌湾の漁場形成にかかわるさまざまな要因】
人為起源物質、汚染物質については、小川班で調査していますよね。     
「海に流出した汚染物質のゆくえは……?」研究テーマ4 代表:小川 浩史 准教授
永田班長
「物質循環」ということでは、小川班も同じテーマに入るのですが、中でも汚染物質は重要なので、特別に枠を設けて調査した方がいいと班を分けたのです。
私たちの班では、物質循環の中でも栄養物質、つまり生産を支える方に焦点を当てています。海の中は植物プランクトンを出発点として、それを食べる動物プランクトンがいて、さらにそれを食べる小さな魚、もっと大きなマグロやクジラ……と、食物連鎖がありますね。しかしそうした生物の食物連鎖を支えるには、まず出発点にある植物が育つ環境にあるかどうかが重要なのですよ。
植物が育つには栄養塩の供給が欠かせませんが、町から流入する下水や、森からの土壌など、これは川から入ってきます。そうした栄養塩の供給プロセスに変化はないか、有機物や微生物などがどうなっているか? といったことを調べているのが、私たちの班です。
食物連鎖と食物網

【図2 食物連鎖と食物網】


海の生産を支える「栄養塩」

「栄養塩」って何ですか?ただの塩ではないのですよね?
永田班長
「栄養塩」というのは「栄養物質」、「栄養素」と呼んでもいいのですが、平たく言えば、窒素(N)とリン(P)のことです。たとえば、畑の肥料として窒素(N)、リン酸(P)、カリウム(K)と聞いたことはありませんか? 植物が育つために必要な栄養素ですが、海の中でも同じように必要で、カリウムはもともと海水中にあって足りなくなることがないので、海の栄養塩というと、主に窒素とリンを指します。
ここでの「塩」というのは「しお=塩化ナトリウム」のことではなく「えん=イオン」のことで、「えいようえん」と読み、化学ではよく使われる言葉です。  
栄養塩以外にも、永田班で調べているものがありますよね? 東京大学大気海洋研究所の中では永田班長のほか、浜崎准教授、横山准教授、福田助教らが参画していますし、石巻専修大学、愛媛大学沿岸環境科学研究センター、静岡大学理学部など、他大学や他の研究機関も参画しています。それぞれに担当があるのですか?
永田班の研究対象

【図3 永田班の研究対象】

永田班長
そうですね。みんなで分担して調べているのですけど、「海の中の食物連鎖がどうなっているのか」という研究は、私たちは震災前からずっと大槌で行っています。愛媛大学沿岸環境科学研究センターの横川太一講師は、頻繁に大槌へ通って大槌湾の微生物の食物連鎖について調査を行っていたので、このプロジェクトにも加わってもらいました。
震災前からのデータがあるので比較ができるということですね。
永田班長
そうです。それから、新青丸など大きな調査船に乗って三陸沿岸を調査することもあるので、交代で乗ってもらったりしています。
東北海洋生態系調査研究船(学術研究船)「新青丸」、初の研究航海 / 木暮 一啓・永田 俊 (東京大学大気海洋研究所・研究トピックス2013)  


進化する観測・分析機器

新青丸のような大型調査船と、グランメーユや赤浜などの調査船では、どのような調査が行われるのでしょう?
永田班長
実際にやっている仕事というと、水を採ることです。「採水器」を使ってひたすら水を採っています。
びっくりメーユ
ひたすら、ですか! 小川班長には「採泥器」についておしえてもらったけど、「採水器」というのは……。
永田班長
「採水器」にもいろいろあって、湾内で使用する小型の調査船と、大型の調査船では使用できる採水器も違います。採った水は冷凍して、実験室に持ち帰って分析します。
ニスキン採水器    CTD

写真左:【ニスキン採水器】
採水筒の上下の蓋を開けた状態で海に沈める。目的の深度に達したら、ワイヤーにメッセンジャーをとりつけて落とし、蓋を閉めて採水する。

写真右:【CTD―Conductivity Temperature Depth】
ニスキン採水器が24本の束になった状態。CTDというセンサー付で、深さに応じた水温・塩分の変化もリアルタイムで測定できる。船上からの指令により、測りたい深さの海水を自動で一度に何本も採水することができる。海水は様々な分析にまわされる。
どうやって分析するのですか? 「精密な解析を行う」と研究テーマの概要に書いてありますが……、どういった手法なのでしょう?
永田班長
分析もいろいろな方法があるのですが、例えば「オートアナライザー」という分析機器。見てみますか?
はい!
オートアナライザー
    
写真:【オートアナライザー】   
水質分析や食品分析など、多方面で利用されている分析装置で、液体の検体が流路内を通り、それぞれ分析したい項目ごとに試薬を入れて発色反応させるなど、自動的に測定できる(人の手でピペットなどを使って試薬を入れ、撹拌するなどして反応を見ていたことを、自動で行う)。
この写真の機器では4つのチャンネルがついていて、4種類の項目を分析することができる。

永田班長
私たちの班でこのようにデータをとっていることもモニタリングというのだけれども、こうした方法で採水・分析をしていると、毎回出かけて行かなければ観測できません。そうすると、海の中に機器を入れておいて自動的にデータをとり続けられないかな、ということを考えます。そういう試みをしているのが、津田班ですね。
だから班の研究テーマに「連続モニタリングシステム」という言葉が入っているのですね!
「海の中のデータを集める ワカメとカキ、適した環境はなぜ違うのか? 」(研究テーマ1 代表:津田 敦 教授)
永田班長
まだ完全に確立していないけれども、これからの発展が大きく期待される方法です。津田班では植物プランクトンの上の階層にいる、動物プランクトンのモニタリングなどもしています。大槌湾はプランクトンが多いので、海の中の機械にすぐにくっついてしまうようです。それが機械によくない影響を及ぼすこともあるようで苦労しながらとりくんでいます。

  

物質循環プロセスに変化はあったのか? そして今後は……?

栄養循環は、震災前はバランスのとれた状態だったのでしょうか?震災後、そのプロセスは変わってしまったのでしょうか?
永田班長
震災後の5月から7月の調査では、海底付近に高濁度層が著しく見られましたが、その後は消失しています。そして現時点では、震災前後での窒素とリンの濃度や比の変化はあまり大きくないようです。
ただ陸からの有機物が海底にたまっているはずなので、今後それがどういった影響を及ぼすのか注意深く調べる必要があります。また今後は、町の復興にともなう河口や沿岸の大規模改修工事や、防潮堤の建設などが行われるので、これに伴う物質循環の変化も注目する必要がありますね。  
これから物質循環プロセスが変わってしまう可能性もあるのですね?
永田班長
そうですね。日本の高度成長期の70年代、きちんと処理されていない下水が海に流されて、赤潮の発生が問題になりました。瀬戸内海や東京湾などが特に問題になったのですが、窒素やリンは多すぎると赤潮発生の原因になり、また別の問題を引き起こします。赤潮は毒性があるので、例えばこれを貝が食べ、それを人間が食べると食中毒を起こしたりするのです。植物が異常に増えるということは、植物の死骸が海底にどんどん降り積もってヘドロがたまり、すると酸素がなくなって、魚が死んでしまったりもします。  
今後、どうなっていくかをきちんと見ていかなければなりません。

漁業資源の維持機構の解明をめざして


では今後の課題や目標というと……、これまでは震災直後の、地震や津波による循環プロセスの変化を調査することでしたが、今後は復興にともなう変化や、時間が経過してどうなるかといった変化を見ていくことでしょうか。
永田班長
そうです。長期的に生態系の変化を見ていくのが重要なポイントとなります。また、田中班がとりくんでいるモデリングというのは、湾の中の水の流れとか、かき混ざり具合といった物理を細かく調べて、コンピュータで計算しモデルを作ることですが、我々が調べている「生態系がどうなっているか」というデータがなければモデルが作れません。観測したデータと照らし合わせることでモデリングがより高度化できるので、寄与していきたいですね。
モニタリングをする私たちも、数値モデルの結果を参考にできれば、どこに重点を置くかを図ったり、観測計画の修正もできるようになります。
「海の流れと運ばれる栄養と生物の関係を調べてモデル化する」 (研究テーマ5 代表:田中 潔 准教授)
モデリング班との連携はお互いに重要ということですね。
永田班長
非常に重要ですね。またこうした栄養物質の解析によって、漁業資源の維持・解明を目指します。  
それはどういったことなのでしょう?
永田班長
大槌湾というのは、サケなどの定置網漁と、ワカメやコンブ、ホタテ、カキなどの養殖が漁業の柱ですが、養殖生産額のかなりの部分をワカメが占めています。ワカメのような無給餌養殖は自然環境に依存する度合いが高いですから、海水中の栄養塩濃度によって成長や品質に影響を受けやすいのです。
解析によって、まず生態系としてどういう成り立ちなのかがわかります。赤潮の例のように、栄養塩のバランスは漁場にとって重要で、多すぎても少なすぎてもいけません。養殖もやりすぎると海が汚れてしまいます。「環境収容力」というのですけど、適正があるのですね。どのくらい行えばよいか、やりすぎるとどうなるか、そういったことを提示していくことにつながるのですよ。
なるほど。では最後に、大槌や東北、市民のみなさんへのメッセージはありませんか?
永田班長
ウーン、……町の復興はまだまだですよね。非常に厳しい状況だと思いますが、やっぱり町が早く復興してほしいですね。震災後から船に乗せて頂いたように、漁師さんたちには今も調査に協力して頂いています。研究によって、漁業復興に貢献したいです。  
メカブ 種苗ワカメ 窒素の調査
    
ワカメの養殖。7月ころに採取したメカブ(ワカメの生殖細胞のある部位)をタンクに入れ、麻縄に遊走子を付着させ、種苗ワカメを育てる。種苗ワカメは、11~12月ごろに湾内につるして養殖する。3月ごろになってワカメが2mくらいの長さに育ったら収穫する。本研究では、種苗ワカメを大槌湾のさまざまな地点につるし、窒素源が場所によって異なるかどうかを調べる試みをしている。    


インタビューを終えて

もともとは生態学がバックグラウンドで湖の研究をしていたという永田班長。生態系に興味があり、中でも「肉眼では見えない微生物が生態系にどう影響を及ぼしているのか」といったことから、化学分析、生物体を構成する元素(生元素)の研究に進むことになったそうです。
生元素動態分野の前任・小池勲夫名誉教授 *a)や、大槌の国際沿岸海洋研究センター *b) にプランニングの頃から携わった、服部明彦名誉教授 *a)による1970年代の分析のお話しなどもうかがい、今日の研究が多くの先人の研究を礎とし、連綿と続いていることを感じました。
永田班長は「今は自分が手を動かして分析するよりも、学生たちと一緒に作業することの方が多い」とのことですが、「学生たちが新しいテーマを見つけて研究しているのが面白い」そうです。

*a) 両者とも東京大学海洋研究所(現在は東京大学大気海洋研究所)元所長
*b) 設立時は大槌臨海研究センター

取材日: 2014 年 1 月 7 日 (構成 / イラスト: 渡部寿賀子)

【番外編】

永田班長がここ2年くらい“はまっている”、研究以外の趣味はスキー。長野県の出身で実家から車で10分くらいのところにスキー場があるそうです。子どもの頃からスキーはしていたけれども、帰省する機会が増えたこともあり、スキー熱が再燃(?)したとのこと。
「では夏の趣味は? 」と聞くと、「冬にスキーをするための体力作り」。ジム通いして筋力トレーニングをしているとか!スリムな永田班長ですが、実は筋肉質!? かもしれません。
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